深谷市血洗島は、世良田の上部大橋から車で10分くらいの所にある。
太田市から意外と近い。血洗島?NHKの「晴天を衝け」
を見ている方なら知っていると思うが、今話題の渋沢栄一の生家
がある。血洗島を初めて知ったのは、岡部の道の駅に行くと時に
血洗島、と言う信号を見た時だ。凄い地名があるんだなぁ、と。
血洗島と言う地名には諸説あるらしい。赤城の山霊が他の山霊と
戦って片腕をひしがれ、その傷口をこの地で洗った。この辺りで
合戦があり家臣が切り落とされた片手を洗った。度重なる利根川
の氾濫のため地が荒れたとか地を洗うように流れた。チアラジマ
とかあるらしい。撮りダメしておいた「晴天を衝け」の録画をお
盆休みに見て血洗島が渋沢栄一の生家だと言う事を知り、いろい
ろ渋沢栄一を調べてみた。藍染の元になる藍の葉を育て販売する
農家に生まれ、20代で倒幕思想を抱き動き出す。縁があり一橋
慶喜(後の徳川慶喜)の家臣と出会い一橋に仕官する。27歳の
時、慶喜の弟徳川昭武に随行し、パリ万国博覧会を見学。この時
すでに日本では「大政奉還」が行われ徳川幕府が政権を明治天皇
に返上した。しかし渋沢は帰国せずに1年7カ月及ぶ欧州留学
を経験し「資本主義」を学び帰国する。明治維新となって帰国す
るすると日本で最初の合本(株式)組織「商法会所」を静岡に設
立し第一国立銀行をはじめる。その後、新政権で実権を握ってい
た大隈重信より大蔵省への入省を強く勧められ入省(29歳)
ここで現在につながる、いろいろな改革に携わる。円を新たな単
位とする貨幣制度、郵便制度事業の立案、租税や土地制度を確立
するための長さや体積などの単位基準の提案、廃藩置県などに携
わった。その後、大蔵省内の対立で退官、民間人になり夢であっ
た、日本で初めての銀行「第一国立銀行」(現在のみずほ銀行)
を設立し今の株式会社の経営制度を導入した。
渋沢は第一国立銀行をはじめ、約500もの企業に関わったとさ
れている。調べてみた、私の知っている会社を少し書いてみます。
東京商工会議所:東京証券取引所:みずほ銀行:日本銀行:東京
電力ホールディングス:サッポロビール:アサヒビール:帝国ホ
テル:清水建設:日本郵船:東京地下鉄道:大日本印刷:日本放
送協会:電通:浅野セメント:秩父セメント:王子製紙:東京海
上火災:理化学研究所・・・・。すごいですね!!