いとう建設へようこそ!いとう建設のルーツ(長文)

ようこそ!いとう建設へ

  出会い と ご縁 に感謝し、

いとう建設と私(伊藤茂男)の事を少しだけでも知って頂けたらと思います。                いとう建設工業株式会社 伊藤 茂男 

こんにちは、いとう建設工業の代表、伊藤茂男です。月日の流れるのは早いもので、私が32歳で独立してから早36年となります。

これまで地元密着にこだわり、事務所より車で1時間の範囲を施工範囲として家づくりをさせて頂いてきました、これからもずっとずっと地元に根付いた工務店で有りたいと思っています。

「家づくりは、昔から地元の工務店の仕事だ」、と私は思っています。

困った時にすぐに伺えるのは地元工務店、かゆい所に手の届くのが地元の工務店だからです。

私は高校卒で(県立桐生工業高等学校・建築科1回生・現在は建設科)人見知りで、しゃべるのが苦手で、頭も良くなく、不器用な私がこの厳しい住宅業界でよく生き残ってこられたと今更ながら思います。

生き残ってこられたのは、私がいつも心がけている

『愚直に、真面目に、地道に、誠実に、お客様目線で考える

続けてこられた事、身体が丈夫な事、そしてなりより大きいのは私を信頼して慕ってついて来てくれた社員、協力会の仲間、友人、そして家族がいたからこそだと感謝しています。

 月日が流れ私も還暦と言う時に何かを変えたいと以前から思っていました、そして以前から考えていた『坊主頭になる!』を実行しました。

女房や友人から『怖い顔がもっと怖くなるからやめておいた方がいい』

『お客様があの社長坊主だよ 何か怪しいなぁ』

『坊主頭は絶対おかしいよ、やめとけよ』  

『きっと悪い事をしたんだな、と思われるよ』

などなどと反対も多かったのですが、昔から反対されたら、やっちゃう天邪鬼(あまのじゃく)です。

今までの私の頭は、見た目が怖い?!短いコテパーマです。

34年間まったく変わらず短いコテパーマでした。短いコテパーマは3時間から3時間半かかります。ひと仕事です。

34年 x 年10回 x 3時間   = 1020時間

1020時間 ÷ 24時間       = 約42.5日分

睡眠時間にすると 1020時間÷7時間 =145.7日分

凄い時間を、貴重な時間をコテパーマに使っていました。

 

坊主頭にしたのは、何かを変えたいと言う思いとそろそろ俺の頭も解放?してあげたい、無駄な時間を使いたくない』と言う気持ちからでした。

周囲の反対を押しのけ、坊主頭にしてみると、意外に怖くない?

散髪時間は今までの3分の1以下の50分(手ハサミで刈って頂いてます)洗うのも楽ちん、ドライヤーもいらず、整髪料もいらない、朝の時間の節約にもなります。楽チンだぁ~。(時々リンスは使いますよ!)

欠点は、太陽が出ていると即暑い、とにかく暑い、顔に汗をかくのと同じくらい頭が汗をかく、でも現場から帰ってきたら外水道で丸洗いすればOK。ワイルドでしょう?

そして帽子が似合わない、何を着ても似合わない、まあそのうち慣れますよね。

でも素晴らしいかな 坊主頭!です。気に入っています。

これから飽きるまで?ずっと?坊主頭でいようと今は考えています。

私は坊主頭ですが、怖い奴でも悪い奴でもありません、でも最近、髪の量が少なくなり少しずつヤバくなってきていますが、まあ、歳ですから気にはしていません?すごくハゲてきたら、髪の毛を毎日剃ろうかとも思っています。

そんな私は、家づくりが大好きな工務店の社長です、宜しくお願いします。

『伊藤茂男の宝地図』?!

『伊藤茂男の宝地図』?!を達成したい。

A3の用紙に私が将来達成したい目標を写真と文字で書いてある未来地図です。

『伊藤茂男の宝地図』の中にある目標を一つずつ達成したいと言う事です。

『伊藤茂男の宝地図』なんだ、それ?とお思いでしょうか?

私の未来地図です。(うぅ、もうそんな未来がある歳じゃないだろう?これから第二の人生です)

この未来地図は20数年前に作りました。

この『伊藤茂男の宝地図』はいつも目に触れる所に貼り潜在意識に焼き付け目標を達成させると言うものです。(ちなみに、いとう建設の宝地図もあります)

この『伊藤茂男の宝地図』は20数年前に作ったものですが今でも事務所の机の後ろの壁、寝室、

自宅のトイレに貼ってあります。いやでも毎日、目に入ります、ここが潜在能力のポイントです。

『伊藤茂男の宝地図』のなかには

・夫婦仲良く、家族仲良く、それがあってこそ仕事ができる、力が出るんだ!(女房との写真)

・住宅ローン完済(自宅写真)

・舘ひろしになる。体重73kg(舘ひろしの写真)

・年をとっても夫婦でいろんな所へ行こう

(女房と一緒の笑顔写真と行きたい場所の写真6点)

・老後の蓄えを少々(100万円の束の小さなピラミッドの写真)

・自分史を書くど!(新田に生きた普通の親父の自分史 本の写真)

などなど書いてあります。今までにいくつかですが達成する事ができました。

でも達成できない難しい事も数あります。

人生って思い通りには行きません!いろいろありますからね。

たとえ目標が達成されなくても目標や夢を持つ事は大切な事だと信じています。

社員にも1年の目標5年先の目標10年先・・・将来の目標を持とうと常々言っています。

また、私は無宗教ですが仏教の事が好きです。昔から仏教の本を数多く読んでいます、今でも時々読みます。

瀬戸内寂聴の仏教本は、読みやすく理解しやすいです。仏教の本を読むなら瀬戸内寂聴から入るとわかりやすく良いと思います。また玄侑 宗久の「中陰の花」(ちゅういんのはな)は、いまでも心に残る1冊です。あの世とこの世の中間の世界の話です。是非読んでみてください。

仏教に興味があり好きなので白木の阿弥陀様、観自在菩薩、勢至菩薩の仏像が欲しくて買おうと思ったのですが、買っていいものかどうかわからないのでお世話になっている僧侶に相談したところ「何の問題もない」「毎日手を合せ、自分の想いを願い、あなたの魂を仏像にいれなさい」と言われ購入しました。

白木の阿弥陀様、観自在菩薩、勢至菩薩の3体の仏像は設計部室の棚に有りますが毎日仕事前には、水とお酒をあげ、ろうそくを灯し手を合せています。般若心経に興味があり覚える事にしました。般若心経は意外に早く10日くらいで暗記することができ、今でも暇な時、不安な時などに声をだし唱えています。(ちょっと変な奴ですかね? ♪魔訶般若波羅蜜多心経・・・・)

今後の目標は『伊藤茂男の宝地図』で達成できていない事を暇を見つけて達成できるようにしてみたいと思っています。

また『伊藤茂男の宝地図』に書かれている『自分史』をコツコツと書きたいとも思っています。

まだまだ構成もできていないのですが昭和29年生まれの私の子供時代は今では想像もできない

事が沢山ありました。

新田の自然、幼少時代、小学校時代、中学時代、高校時代、社会人になって・・・私の春夏秋冬、喜怒哀楽を書こうと思います。伊藤茂男ワールドはこんな感じです。

・小学生の頃、野ウサギを畑で追い回して野ウサギの寝床を見つける事、捕まえる事(遊び)

・ブッチメ 桑の枝を糸で曲げバネにして小枝で囲いを作りその中にコメなど鳥のえさをまき、鳥が入ってくると、ギロチンではないですが、桑の枝があがり、鳥をとる。と言う遊び

・裏の長堀(川)で近所の仲間みんなで泳いでいたこと。(普通に泳いでいたんだよね)

・ケガリをした想い出(かいぼり・川に堰(せき)を作り水を止め、その水をバケツでかいだし、鯉やナマズ、うなぎ、どじょう、ふななどをとる事)

泥だらけになり汗をかきバケツ2杯くらいとれた想い出。うなぎや鯉、なまずが田んぼの川にいたんですよ。今では信じられませんよね。昔々の事ですね。

また

・小学校に入学してすぐに先生からゲンコをもらった想い出(俺は正しい、先生は理不尽だ)

・小学校から中学にかけて朝から晩までバットを振る続けた野球バカ少年だった想い出

・中学校では野球部、そして陸上部を兼任して活躍(自分ではそう思っている)

 800mで県大会に行ったんだぞ、の想い出

・高校に入学してすぐに売られた喧嘩、2回、ちょっと小突いたら相手が泣き職員室に呼ばれ2時間ほど先生の机で正座させられた、今でも納得できない想い出

(同級生と教室で喧嘩をして、不良少年あつかいされた)

・高校時代の仲間との尾瀬や谷川岳の思い出、喧嘩の想いで・・・・・。

・高校2年の春休み、一つ年下の彼女とチューリップのきれいな桐生の吾妻山に行く約束をして待ち合わせの途中で乗用車に正面衝突されバイクごとブロック塀に叩き付けられ、救急車で運ばれた想い出。彼女は新桐生駅で2時間ほど待ち、来ないので自宅に電話くれ、事故を知り、ひなげしの花を持って病院にすぐに来てくれた、淡い恋の想い出です。(あ~~懐かしや、かわいかったなぁ)

ちなみに彼女は中学時代、1年後輩のテニス部の笑顔のかわいい子。イニシャルは、今でも覚えていますK・S。

ちなみに「ひなげしの花言葉」を調べてみました。

恋の予感。思いやり。いたわり。 陽気でやさしい・・・。

淡い恋の想い出です。我が青春ですね。いくつないなっても青春の思い出はいいですね。

・東武線、治良門橋駅で学校帰りアロハシャツのチンピラのあんちゃんをボコボコに殴ってしまった喧嘩の話。(硬派)

翌日から、仕返しされるんじゃないかと電車に乗るのが怖かった思い出。

彼女の話もありますが、どちらかと言えば完全に硬派です。

そして社会に出て

・就職した会社で自衛隊に体験入隊。厳しかった!

・ゼネコンに入社 秩父支所 本千葉支所 大泉支所

・寝坊がきっかけで房総半島に遊びにいちゃったら会社から謹慎、ふるさと群馬に帰って来た

・起業そして家づくりの勉強

・ある人との出会い(神田昌典氏)で仕事に関して意識が変わり、真剣に仕事に取り組む。

・起業しすぐに33歳でガンの告知?東毛がんセンターへ1ヵ月通う(診断ミス)

・渓流釣りで20ヶ所くらいハチに刺され、2時間近く山を歩いた想い出

・渓流釣りでつり橋から落ちた、想い出。

・渓流釣りで夜になり真っ暗な山道に迷った苦い経験

いやいやいや、長い人生にはいろいろ有りますね、すいません!伊藤ワールドに入ってしまいました。ネタは満載です。

新田に生まれ育った『自分史』を2~3年かけて書いてみたいと思います。

ほんとうに「自分史」が書けたらいいなぁ~と思います。

いとう建設の事を少々。

いと建設は、先代の創業から約67年となる地元密着型の工務店です。

私が、いとう建設として創業し数年後、伊藤工務店(先代が経営)を吸収し法人化しました。

当時は、昔の工務店そのもので、うち大工さんを8人~を抱え、事務所横に作業場があり、万能機、ほぞ切り機、仕上げカンナ機、研磨機などなどあり、大工さんが墨付けをして木材のキザミをしていました。

そのころの私は、一人で現場監督をして夜は夜な夜な営業をし、見積や経理も一人で行うスタイルです。その頃の営業はすべて紹介営業でした。

1つの現場を完成させそのお客様から紹介を頂き夜な夜な営業訪問すると言う昔のスタイルでした。夜の営業に行き帰ってくると11時、12時も珍しくはありませんでした。

自分で営業をして見積をし、契約をして頂き、現場監督をやっていたので、私の事をいろいろ知って頂き気に入って頂けたお客様から信頼?をしてもらい紹介が頂けたのだと感謝しています。

紹介を多くくれた人の中には7軒も紹介してくれた奥様もいます。(7軒契約しました)

数年工務店経営をしてみて職人気質の工務店組織(うち大工がいる組織)の限界を知り悩み、しっかりとした会社組織を作る事にし、そして営業部・工事部・設計部・不動産部を作り、紆余曲折もありましたが今に至ります。

社員は全員、地元で生まれ育った者たちです。

「顔の見える工務店」「地元の人に信頼される工務店」「かゆい所に手の届く工務店」でありたいと常に想い、考え、実行行動をしています。

長く仕事をしていてもすべてがうまくいく、と言う事はなかなか難しいですが日々精進、日々勉強だと思い切磋琢磨しています。

もし、地元密着の私たちの家づくり、いとう建設に少しでも興味がありましたら、家づくりのパートナーとして選択の一つにして頂ければ幸いです。

いとう建設では

・1番人気の・家が呼吸する「深呼吸したくなり家」

「遮熱の家」

独身の方、23人の家族の「コンパクトな家」

など自由設計、規格住宅で販売しています。

長く長くなりましたが最後までお読みいただき、ほんとうにありがとうございました。

ご縁を頂きありがとうございます。このご縁がいつまでも長く続けば幸いです。

いとう建設社員紹介

 ・住宅アドバイザー

 ・設計プランアドバイザー

 ・不動産・土地探しアドバイザー

 ・現場管理

  社長   設計部 岡部  工事部 伊藤

    

工事部 金子  鈴木アドバイザー 伊藤アドバイザー

不動産部 小熊  設計部岩森 設計部齋藤

不動産部近藤 不動産部成塚  経理 伊藤

アドバイザー 田嶋

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